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台湾の支那人     -栗原茂男

1) 台湾の支那人
2) ナイジェリアで苦闘する大和撫子
3) 貿易収支が改善し始めている
4) 【 財務省HP新着情報 】
5) 日本銀行メール配信サービス 2017-05-29
6) 【 内閣府新着情報 】経済分析第194号
7) 外務省ホームページ新着情報
8) 【 NPO法人百人の会 】 南モンゴルを支援しよう
9) 【 NPO法人百人の会 】 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた
10) 【 NPO法人百人の会 】 自民に反対され、否決されたサンフランシスコ市における慰安婦像設置について再検討を求める決議(案)
11) 【 NPO法人百人の会 】
12) 【 NPO法人百人の会 】 宮家復活もこの機会に (1)
13) インターネット情報

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1) 台湾の支那人

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台湾人「犯人を絶対に許せないな…」日本時代のこま犬壊した元台北市議、罰金の支払いを拒否!!(台湾の反応)
http://www.taiwannohannou.com/archives/70000918.html
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民族の定義を血筋やDNAで行おうとすると例外だらけで無理となる。だから民族の定義は本人の帰属意識に求めるしかない。
国家は法律で運営されるから本人以外には判らない帰属意識では定義できないから日本は両親の国籍で国籍を決める。
米国などは生まれた国で決まる。
しかしいかなる国でも法律に書かれていようがいまいが、国家に忠誠を尽くすのは当然だし、まして帰化人なら帰化時点で一層当然である。

台湾は大東亜戦争終了時も日本の不可分の領土であったし、今も日本の不可分の領土である。
ただ、大東亜戦争終了時に米軍が占領して今も米軍の占領が続いている。

台湾の民事を支配しているのは米軍から代理占領を任された亡命「中華民国政府」集団。彼らの祖国は中国共産党が支配する中国である。
米国から代理占領を依頼と言う形で任されて来た「中華民国政府」集団は台湾を国際法無視の、如何にも支那人らしいやり方で台湾人の人権を侵害し、不当に利益を搾取してきた。
米国は何度も蒋介石に警告はしたようだが、東西冷戦時代に米国としては「中華民国政府」集団に強く言えなかったのだろう、「中華民国政府」集団の悪逆は定着してしまったようだ。

公的職場では台湾人の出世は抑制され、民間の経済活動では台湾人には許可などで徹底的に不利にされて来た。
蔣介石にくっ付いて来た支那人の兵隊たちは字も読めないような者でも役所の幹部を独占し、台湾人は虐殺され、虐殺を免れた者も恐怖の日々を過ごしてきた。
状況が変わったのは李登輝になってからだが、数十年の間に出来上がってしまった支那人優位の体質は今も続いている。

つまり台湾には蔣介石以前から暮らす台湾人とその子孫である「本土台湾人」と亡流支那人が混住しているのである。
基本的に「本土台湾人」は日本が大好きだと言うのが私の印象。それに対し、支那人は日本に対して反感を持っている。
最近は自らを「台湾人」と言うが、何年か前までは「中国人」と言って来た蓮舫などが典型である。
日台友好を装っているのは朝鮮人の「用日」と同じ。

伝えられる、元台北市議のような支那人が日本人に台湾人であると誤認させることは犯罪的でさえある。

日本人は、台湾には台湾人と支那人がいて、反日的な言動をする「台湾人」は偽台湾人と見て良いだろう。

但し、台湾の支那人にも中国から離脱したがっていて、日本が大好きと言う支那人もいる。
しかし台湾民政府が台湾の統治者として登場した場合に、中国からの離脱に賛成で日本が大好きだが、自分は日本人ではなく支那民族としての帰属意識を捨てない者もいると思われる。
その辺を見極めて個々の人を見る必要はあるだろう。

5月の3日に台湾民政府の招待でワシントンでのレセプションに参加したが、会場で台湾民政府の幹部たちが日本では台湾の事を如何思っているか心配顔で聞いてきた。
勿論、台湾のイメージは凄く良いですよ、日本で台湾の悪口を聞いたことが無いと応えておいたが、本土台湾人は台湾の支那人の言動が日本での台湾の印象を悪くしていると心配していたのかも知れない。

台湾人を見る時、日本人は台湾の支那人は在台湾外国人であることをしっかり認識する必要がある。

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2) ナイジェリアで苦闘する大和撫子

極悪人揃いのナイジェリア人弁護士たち。
当方の弁護人は、裁判が始まってから大学を出たばかりの娘を税関OBの第4夫人に差し出し、当時から「人質」だと見られていました。
それが今年に入ってから、ナイジェリア中部の放火・虐殺で殺されたそうです。

写真は、被告側の弁護人の一人。
数百億円の不正を働いて罷免された知事の弁護人でもあるのでした。
その弁護士はカナダに妻子を移住させ、高級住宅街に不動産をいくつも買ったとか。
裁判が最終段階に入っても、弁護士はまだ協力的でなく、気が抜けないのでした。
もっと見る

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3) 貿易収支が改善し始めている

平成21年に「一度民主党やらせて見れば良い」と言う心地よい響きの悪魔の囁きで朝鮮マスコミによって作られた民主党政権下で日本経済潰しの円高政策の犠牲となって日本の貿易収支は赤字化が定着した。
平成20年のリーマンショックで世界で一番金融が安心安全な円が買われたと言う事はあったが、民主党政権は超円高を放置してしまった。

円高になると輸出企業は生産を海外に移すようになる。自由主義経済の下ではこういう企業の動きは非難できない。
日本企業が生産を移転した中国や韓国は潤ったのだ当然か。
おまけに日本の企業は技術泥棒の草刈り場と化していたから日本の製造業各社は追い込まれ始めた。

それが平成23年からの貿易収支の赤字化の原因だろう。
以下は内閣府の資料からである。
平成23年 ▲2兆6,684億円、 平成24年 ▲7兆6,551億円、 平成25年 ▲11兆6,572億円、 平成26年 ▲12兆6,679億円、 平成27年 ▲2兆2,261億円、 平成28年 5兆2,038億円、 平成17年1~3月 1兆805億円。

安倍政権になってからの政策努力で一昨年から貿易収支の赤字幅が縮小し始め、昨年の平成28年にはついに黒字化した。
安倍政権のこの成果はもっと評価するべきである。朝鮮支配の日本のマスコミは知らせたくないだろうが。

貿易収支は赤字続きでは重ったるい雰囲気が経済政策に伸し掛かるので赤字にならないように政府は努力するべきだが、出し過ぎると赤字国からは非難が来る。
だから貿易黒字は多ければ良いわけではなく、そこそこであることが望ましい。

特に日本の場合は対外純債権債務は約350兆円の債権超過であり、純債権が350兆円と言う資産内容が超安定の国家。
政府に国民に対する債務が有ろうが無かろうが、対外支払い能力では断トツの世界一である。
政府の借金が如何とかこうとか言ってる外国の格付け風説屋は経済学の初歩的な事が解らないらしい。恐ろしく能力が低い連中だ。

貿易収支が完全に改善した日本の今後の目標は豊かな対外純債権ではあるが低い投資効率を高める戦略が重要だと考える。
企業は生産性の低い部門、言い換えると支払う給料の安い部門は海外に任せ、日本国内の生産は付加価値の高いものに特化する政策が日本社会の生活の質を高める事になる。

その場合、当然の如く、日本社会で暮らす人は日進月歩で高まって行く生産効率の仕事に付き合う必要があり、仕事で現役の人は常に新しい事を学ぶ姿勢が必要となる。
それを拒否するなら生活の質向上は諦めるしかない。途上国に行ってそこで生活する人生も私は否定しない。
政府は自己研鑚の支援をすることが望まれる。

全体として安倍政権は着実に日本社会の質を向上させている。
同時に周辺の如何わし諸国が日本からの不当な利得を得られなくなっているから、日本人を偽装した偽日本人達からは目の敵にされている。

安倍政権は高く評価されるべきである。

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4) 【 財務省HP新着情報 】

・麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要(平成29年5月26日(金曜日))
 http://www.mof.go.jp/public_relations/conference/my20170526.htm

・国債の償還予定額(平成29年6月分)
http://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/syoukan/index.html

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●財務省ウェブサイト
 http://www.mof.go.jp/

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5) 日本銀行メール配信サービス 2017-05-29

平成28年度業務概況書
http://www.boj.or.jp/about/activities/act/act17.htm

第132回事業年度(平成28年度)決算等について
http://www.boj.or.jp/about/account/zai1705a.htm

Bank of Japan FAQs(「教えて!にちぎん」の英語版)の拡充について
http://www.boj.or.jp/announcements/release_2017/rel170529a.htm

【講演】黒田総裁「金融市場に関する理論と中央銀行」(日本金融学会)
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2017/ko170527a.htm

基調的なインフレ率を捕捉するための指標
http://www.boj.or.jp/research/research_data/cpi/index.htm

(論文)金融研究所DPS:アメリカ連邦法における銀行財産の不正使用の罪について
http://www.boj.or.jp/research/imes/dps/dps17.htm

日本銀行政策委員会月報(平成29年4月号)
http://www.boj.or.jp/announcements/pb_geppo/pbgp1704.pdf

【挨拶】原田審議委員「わが国の経済・物価情勢と金融政策」(岐阜)
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2017/ko170601a.htm

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本サービスに関するお問い合わせ:prd.hp-mds@boj.or.jp
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6) 【 内閣府新着情報 】 経済分析第194号

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経済分析第194号は、5月31日(水)15:00に掲載されました。

http://www.esri.go.jp/jp/archive/bun/bun194/bun194.html
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【配信元】
内閣府 経済社会総合研究所 情報研究交流部
http://www.esri.cao.go.jp/

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7) 外務省ホームページ新着情報

公邸料理人の活動紹介(在エジプト大使館・萩本栄治公邸料理人)
—–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/oe/page25_000809.html

高度外国人材の育成・還流事業(イノベーティブ・アジア)の開始
—–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/ic/ap_m/page22_002808.html

ラオスに対する無償資金協力に関する交換公文の署名
—–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004659.html

日中国際法局長協議の開催
—–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004658.html

G7タオルミーナ・サミット(結果)
—–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ec/page4_003024.html

核テロ対策国際会議の開催
 —–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004669.html

東ティモールに対する無償資金協力「経済社会開発計画」に関する書簡の交換
 —–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004670.html

カメルーンに対する円借款に関する書簡の交換
 —–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004671.html

日・モロッコ投資協定交渉第4回会合の開催
 —–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/ma/page3_002125.html

外交専門誌『外交』Vol.43の発行
 —–> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/gaikou/vol43.html

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外務省ホームページ日本語版
http://www.mofa.go.jp/mofaj/

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8) 【 NPO法人百人の会 】 南モンゴルを支援しよう

国民の祝祭日には、国旗を揚げましょう!
▼ここから本題デス!▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼拡散、転送ヨロシク!▼▼▼

2017.05.31
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南モンゴルを支援しよう
カテゴリ:カテゴリ未分類

モンゴルと言えば蒙古帝国をそして「元寇」の「元」を僕らは思い出す。大相撲で全勝優勝を成し遂げた白鳳関以前には朝青龍関などの出身の国。しかしここは北モンゴル。その南には南モンゴルがありましたが、しかし今そこはチャイナ領。内モンゴル自治区となっている。

以下、いかに南モンゴルがチャイナのジェノサイドの犠牲になってきたか、今までまとめてきた資料の要約を記載します。引用文献などは未整理です、すいません。

モンゴルの研究で知られる宮脇淳子氏の『朝青龍はなぜ強いのか?』(WACBUNKO)に、「モンゴル人が中国人を嫌いな最大の理由」が次のように書かれている。

「清朝を継承したと主張する中華人民共和国が、清朝の領土をすべて回復しようと企んでいる点にある。清朝の支配者は中国人ではなかったし、満州皇帝はモンゴル人の同盟者だった。北のモンゴル国(外モンゴル)は、事実上いまだ中国人に支配されたことはないのだ。中国農民に草原を荒らされたり、中国商人に好き勝手にされるのは、絶対にご免だとモンゴル人は考えている」

内モンゴル自治区に対して、中国共産党は過酷な弾圧と虐殺を重ねてきた。歴史も捏造してきた。

中国は、チンギス・ハーンのモンゴル帝国を元と呼び、歴史はわずか100年程度の短いもので、明に滅ぼされて消えたと言う。モンゴル人は中国人で王朝を建てた蛮族のひとつにすぎないと位置づけ、元朝消滅後、完全に中国人の支配下に入って今日に至ると見做す(「モンゴルとは何か?」宮脇淳子)。

モンゴル人らは、そうした中国共産党の主張が歴史の捏造だと識っているのだ。第一、明が元を滅ぼしたといっても、実際はモンゴル帝国のなかの中国人が住んでいたごく一部分が明朝として独立しただけだ。中国を世界の中心に置いて歴史を見る中国人が、明朝の成立イコールモンゴル王朝の消滅としているだけなのだ。モンゴル人の元朝は現在の内モンゴルでその後も続き、後裔もずっと生きて、皆独立していたというのが事実である(『刀水』岡田英弘)。

支配者=中国人という無理

モンゴル研究の専門家である両氏は、チンギス・ハーンの時代には元朝という呼び名さえもなかったと指摘する。チンギス・ハーンは中国には無関係の人物であるにも拘らず、中国の文献は彼の作った王朝を元朝と記す。これこそ中国による歴史のすり替えだと、両氏は批判する。

中国人ではないにも拘らず中国人とされたチンギス・ハーンの末裔たちが、今も無理矢理中国人だとされ、弾圧され続けている現実に強い怒りを抱くのは当然だ。中国共産党が、中国の歴史上、最大の版図を誇った清朝時代の領土奪還を目指すことに強く反発するのも当然だ。なぜなら、それは、モンゴル人を含めた異民族の領土全てが、中国の領土だという前提に立っているからだ。

たしかにモンゴル人は清朝時代、清朝皇帝に仕えた。けれど、清朝皇帝は満州人であり、漢人(中国人)ではない。清朝は漢人をも支配したのであり、モンゴル人から見れば、漢人も自分たちと同じく清朝に支配された民族ということになる。そしてそもそも万里の長城はこれ以北が敵対する異民族の地であることを示している。

清朝を築いた満州の女直人(女真人)はモンゴル帝国時代、モンゴル人の支配下にあった。清朝は、モンゴル帝国の弟分だったとも言えるわけである。事実、宮脇氏は、清朝はモンゴル人の建てた元朝の継承国家だったと指摘する。

中国政府がモンゴル帝国を過小評価し、中国の一部とし、自治区にモンゴル人を閉じ込め、支配し続けるのは歴史の捏造と蛮行以外の何ものでもない。

異民族を中国人と決めつけ、その人々の領土を勝手に奪い中国共産党の支配下に置くのには、非常なる無理がある。無理を押し通すために、中国共産党が採用したのは弾圧だった。中国共産党の弾圧は並ではない。モンゴル人はそれを「ジェノサイド」と呼ぶ。

?50種以上?の拷問考案

中国共産党が用いた弾圧の口実は「内モンゴル人民革命党」である。彼らは同革命党を反中国、反社会主義の総本山で、メンバーは修正主義者で反毛沢東思想の輩だと決めつけ、粛清した。1966年7月2日、?小平もモンゴル人の指導者、ウラーンフを呼びつけ、厳しく批判した。

反毛沢東、反社会主義の輩を「えぐり出して粛清する」運動は、「?粛(ワーソ)」と呼ばれた。?粛によって、内モンゴル人民革命党員とされたのは34万6,653人、当時の内モンゴル自治区のモンゴル人の人口140万人弱の約4分の1に相当する。うち1万6,222人が殺害され、烈しい拷問による障害が残ったのは8万7,188人だったという。しかし、『実録』におさめられた右の数字は、1980年に中国の最高検察院特別検察庁、つまり、中国政府当局が発表したデータで、少な目に見積られている可能性がある。実際の犠牲者はこれよりはるかに多いと、モンゴル人たちは訴える。

中国共産党は文字を読める人は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清をなした。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である。

内モンゴルのモンゴル人が中国共産党の非道なる圧政で未来を奪われているのは明らかだ。親日的なモンゴル人のためにも、日本はアジアの道義大国として中国政府に物を言い続けなければならない。それが中国の圧制に苦しむ諸民族のために日本がなすべき最低限のことである。

内モンゴルは確かに今や中華人民共和国の領土となっているが、それは1949年からのことに過ぎない。

隠されつづけている大虐殺=モンゴル人ジェノサイド
1966年5月16日から、「偉大な領袖」毛澤東自らが発令し、「偉大で、光栄で、正しい」中国共産党主導の文化大革命が勃発した。
その一年後の1967年末から1970年夏にかけて、中国領とされた内モンゴル自治区では多くのモンゴル人たちが逮捕、粛清された。彼らに冠された「罪」は、「内モンゴル人民革命党員」だった。この「内モンゴル人民革命党」は「偉大な祖国中国からその固有の領土である内モンゴルを分裂させようとした歴史がある」、と断罪された。いざ、「罪」が確定すると、血腥い殺戮が直ちに全域で開始された。日本を含む世界各国の「進歩的な知識人」たちはかつて文化大革命を絶賛していた。はたして、数々のジェノサイドを推進してきた文化大革命が謳歌の対象であってよいのであろうか。
では、ジェノサイドとは如何なる行為を指しているのだろうか。1948年12月9日、国連総会は「ジェノサイドの防止及び処罰に関する条約」(略してジェノサイド条約)を採択した。「ジェノサイド条約」の第二条の規定は以下の通りである

この条約において集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもって行われる次の行為をいう。

a、集団の構成員を殺すこと
b、当該集団の構成員の肉体又は精神に重大な危害を加えること
c、集団の全部又は一部の肉体的破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に故意に課すること。
d、集団内における出生を妨げることを意図する措置を課すること。
e、集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。
内モンゴル自治区の場合だと、大量虐殺が発動されただけではない。1969年5月に内モンゴル自治区東部の三盟と西部の三旗がそれぞれ隣接する漢人とムスリムの省(自治区)に分け与えられた。「夷狄たるモンゴル人」たちを「分けて統治する」政策の導入である。

モンゴル人たちはまた殺戮のなかで、父祖の代から住み慣れた故郷を失ったのである。同胞たちの国であるモンゴル人民共和国との国境地帯に住んでいたモンゴル人たちは、強制移住を強いられた。彼らはある日突然、着の身着のままで劣悪な環境への移動を命じられた。そして、その移住の過程でまた虐殺の対象とされていたのである。
民族文化も深刻な打撃を受けた。自治区全域で寺院などが破壊し尽くされた。モンゴル語の使用も否定され、モンゴル語で授業をおこなう学校が閉鎖に追い込まれた。モンゴル人たちは中国人と同じような名前を使用しなければならなかった。植民地統治や民族浄化といった国家暴力がある社会に襲いかかった際に、性的支配が伴われると指摘されている。内モンゴル自治区のモンゴル人女性たちは中国文化大革命の嵐に襲撃された時にも、漢族の人たちから性的暴力を繰り返し受けた。これは、北・中央アジアの遊牧民の女性たちが有史以来に初めて嘗めた辛酸であろう。
このように、大量殺戮をはじめ、強制移住、民族文化の破壊、そして性的な支配など、中国共産党が発動したモンゴル人ジェノサイドの実態は、国連による「ジェノサイド条約」の規定と完全に合致している。
人類は、この屈辱と悲惨な歴史を忘れてはいけない。
モンゴル人の古くからの領土が再び自治区に返還されるのには、1979年まで待たなければならなかった。しかしそこはもうモンゴル人の地ではなくなっていたのだ。

毛澤東自らが発動した文化大革命」の最中に、北の内モンゴル自治区には約150万人弱のモンゴル人が住んでいた。しかしながら、あとから殖民してきた中国人すなわち漢族はその9倍にも達していた。モンゴル人たちは自らの故郷において絶対的な少数派の地位に落ちていたのである。

1981年当時の内モンゴル自治区の書記で、中国人の周恵は「隔離され、審査を受けたモンゴル人の数は79万人」だとしていた。また、1989年に内モンゴル自治区党委員会が公表した被害者数は480,000人だった。独自に調査したアメリカとイギリスの研究者たちはおよそ500,000人のモンゴル人が逮捕され、殺害されたモンゴル人の数は100,000人に達すると見積もっている。最近では、内モンゴル自治区のあるジャーナリストが、直接殺害された者と自宅に戻ってから亡くなった者、いわゆる「遅れた死」を含めて、モンゴル人犠牲者の数は300,000人に達すると報告している。このように、中国にいるモンゴル族全体が受難していた現代の凄惨な歴史を当事者たちは中国共産党政府と中国人民が一体となってすすめたジェノサイドに他ならないのだ。

文化大革命の場合は戦時ではない。「人民が幸せな社会主義の大家庭」に暮らしていた平時であった。モンゴル人女性に対する性的な凌辱はいわば相手に対する完全な征服を意図したものである。中国人たちは、モンゴル人男性を侮辱しようとして、モンゴル人の女性たちを公然と凌辱していたのである。

中国文化大革命中にモンゴル人女性に対して、中国人民解放軍と中国人幹部たち、それに中国人農民らが犯した罪は枚挙にいとまがない。これは、モンゴルという民族がこの地球上に誕生してから初めて経験させられた凌辱に違いない。これは決して過去の問題ではない。モンゴル人女性に対して働いた性的な凌辱を公式に清算していない限り、このような人道に対する犯罪は現在的な、未解決の問題である

女性に対する性暴力は、彼女たちの同胞たる男性たちが完全に征服されたことを自覚させるためだ、との指摘がある。となると、全世界のモンゴル人男性たちはこれから、いかなる心情で中国と交渉すべきかについても、真剣に考えなければならないのであろう。

世界のモンゴル人男性たちは何もしないで、座視して自分たちの妹や妻、娘と母親たちがうけてきた凌辱を忘却するわけにはいかない。モンゴル人にとって、いや、人類にとっても、中国文化大革命は未解決な人道に対する犯罪である以上、国際社会と国際人道法廷に訴えつづけなければならない。

昨年やっとそのための運動体が東京で結成された。

その指導者の一人はオルホノド・ダイチン氏。名古屋在住の憂国の士であり、彼の真摯さは多くの支持を受けている。私にとっても貴重なる親友であります。

6月1日2時より参議院会館にて運動提示の会が開催される。今晩仕事を終え夜行バスにて上京、応援に行ってきます。

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【発信責任者】
『NPO法人教育再生地方議員百人と市民の会』 事務局長 増木重夫
〒565-0874 大阪府吹田市古江台2-10-13 阪口ビル3F
TEL 090-3710-4815 / FAX06-6835-0974

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9) 【 NPO法人百人の会 】 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた

国民の祝祭日には、国旗を揚げましょう!
▼ここから本題デス!▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼拡散、転送ヨロシク!▼▼▼

各位
転送します。
事務局 木上

—–Original Message—–
From: kikuti-tadasi [mailto:t33zkikuti@extra.ocn.ne.jp]
Sent: Wednesday, May 31, 2017 10:18 AM
To: undisclosed-recipients:
Subject: 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた(拡散自由) The ROK Army Used Vietnamese Comfort Women (No restrictions on retransmission) – kaiunmanzoku’s bold audible sighs

韓国軍にベトナム人慰安婦がいた。(拡散自由)

韓国軍にベトナム人慰安婦がいた(拡散自由) The ROK Army Used Vietnamese Comfort Women (No restrictions on retransmission)
慰安婦 Comfort Women 私見 Essay 朝鮮半島 Korea 歴史歪曲 戦史観 propaganda 歴史 History
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山口敬之元TBSワシントン総局長のスクープをケント・ギルバート氏が英訳(拡散自由)

韓国軍にベトナム人慰安婦がいた(拡散自由)
The ROK Army Used Vietnamese Comfort Women (No restrictions on retransmission)

これはTBSワシントン支局長(当時)の山口敬之氏が書いて、週刊文春4月2日号に掲載されたスクープ記事です。
This is the text of a scoop article written by Noriyuki Yamaguchi, the Washington Bureau Chief of TBS Television (at the time), which was published in the Shukan Bunshun Magazine dated April 2, 2015.
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4952

ご本人の承諾を得たので、和英二カ国語で全文掲載します。
I have obtained permission from Mr. Yamaguchi to distribute a full English/Japanese version.

山口さんに直接送って頂いた元原稿をベースに作成したので、週刊文春の編集部が手を入れた後の記述とは少し違うかも知れませんが、ご了承下さい。
This is based on the original version which I received from the author directly, so it may be slightly different from what was actually published after editing.

山口さんの丁寧な取材で明らかになった真実の歴史です。これらの事実は米国の公文書に書いてあるのです。当時の状況を知る人々も、詳細な証言をしています。
This is true history revealed by Mr. Yamaguchi’s painstaking research. These are facts recorded in official documents of the United States government. It also includes detailed accounts by people who have direct knowledge of the situation at the time.

そして、韓国のハンギョレ新聞は「腹立だしいが反論は困難」と認めています。
In addition, the Korean Hankyoreh newspaper recognized “This is vexing, but difficult to refute.”

http://japan.hani.co.kr/arti/international/20445.html…

ところがこの件、朝鮮日報や中央日報、韓国政府は完全に無視しています。
文春と産経以外の日本のマスコミは、このスクープに触れましたっけ?
そう言えばマグロウヒルの教科書にも、ぜひ載せてもらわないとね!
However, this event is being ignored in its entirety by The Chosun Ilbo and JoongAng Ilbo newspapers in Korea, as well as by the Korean government. Have any of the Japanese media aside from Bunshun and the Sankei group covered this scoop? Come to think of it, this should be included in the McGraw-Hill history textbooks in the U.S.!
_______________________
歴史的スクープ! 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた
米機密公文書が暴く朴槿惠の”急所”
Historical Scoop! The ROK Army Used Vietnamese Comfort Women
Official U.S. Secret Documents Put President Park in a Tight Spot
(Shukan Bunshun: April 2, 2015, pp. 30-35)

TBSワシントン支局長 山口敬之
By Noriyuki Yamaguchi, TBS Television Washington Bureau Chief

1966年生まれ。慶応大学卒。90年TBS入社。報道カメラマン、ロンドン支局、社会部(警視庁担当、運輸省担当など)、政治部(外務省担当、官邸キャップなど)を経て13年8月渡米。現ワシントン支局長(掲載時)
Born in 1966, and a graduate of Keio University, Yamaguchi joined TBS in 1990. After working as a news cameraman, as the London Bureau Chief, in the Local News Section (covering police, Ministry of Transportation, etc.), and in the Political Section (covering Ministry of Foreign Affairs, Prime Minister’s Office, etc.), he was transferred to the U.S., and is the current Washington Bureau Chief (at time of publication).

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3月21日、ソウル。三年ぶりの日中韓外相会談が行われたが、日韓間で慰安婦問題の議論は平行線を辿った。だがもし韓国軍が同様の行為を行っていたら---。米公文書館での徹底調査とベトナム現地取材で初めて明らかになるベトナム戦争下での韓国軍の真実。
On March 21, the foreign ministers of Japan, China, and Korea met in Seoul for the first time in three years. The discussions between Japan and Korea on the comfort women issue yielded no progress. But if Korean troops had done the same thing, then what? As a result of thorough research of official U.S. government archives and field reporting on the ground in Vietnam, the truth about Korean troops during the Vietnam War is unveiled here.

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最初に、TBSでワシントン支局長を務めている私が、なぜベトナム戦争当時の韓国軍について取材を始めたのかを記しておきたい。
First, let me tell you why I started gathering information for a news story on the ROK army during the Vietnam War as TBS Television’s Washington Bureau chief.

きっかけは、アメリカに赴任する直前の二〇一三年初夏、ある外交関係者から聞いた言葉だった。日韓関係に長らく関わり、野党時代の朴槿恵氏と食事をしたこともある人物だ。
Shortly before I took up my position in the U.S. in the early summer of 2013, a foreign affairs official who had long been involved with Japan-ROK relations and who had had dinner with Park Geun-hye when she was still in the opposition told me:

「朴大統領は就任早々、慰安婦問題で出口のない迷路に入り込んでしまった」
“President Park got herself into a cul-de-sac soon after taking office by raising the comfort women issue.”

その年の二月に第十八代大統領に就任した朴槿恵氏は、早くも慰安婦問題で日本に強硬な姿勢で臨む方針を明確にしていた。
Park, who became the 18th president of the ROK in February 2013, indicated she was going to take a tough stance toward Japan on the comfort women issue straightaway.

韓国では〇四年に、植民地時代に日本に協力した者を糾弾する「親日・反民族行為真相究明特別法案」が成立している。植民地時代、日本軍の将校だった朴正煕元大統領を父に持つ朴大統領は、この法律によって大いに苦しめられてきた。
The ROK enacted a “special law on fact finding on pro-Japanese and anti-national acts” in 2004 to punish collaborators during the Japanese colonial rule. Park’s father, former President Park Chung-hee, was an officer in the Japanese army during the colonial period. She suffered a lot as a result of this law.

「父の親日イメージを断ち切ろうとするかのように、日本批判を続ける事が彼女のレゾンデートルとなってしまった。そして、慰安婦問題が朴大統領自らの反日姿勢を証明するツールとなった以上、彼女が自分からこの問題を解決するという選択肢はなくなった。もはや慰安婦問題は韓国の内政問題となってしまったのだ」
“Criticizing Japan to clear her father’s pro-Japanese reputation came to be her raison d’etre. Since the comfort women issue has become a tool to prove her anti-Japanese stance, she no longer has the option of resolving this issue on her own. This issue has become a domestic political issue for South Korea.”

それでは、慰安婦問題を巡る日韓の軋轢に出口はないのだろうか?私の問いに、彼はこう答えた。
So, isn’t there a solution to the Japan-ROK dispute over the comfort women issue? His answer to my question was:

「もしかしたら、あなたがこれから赴任するアメリカに解決のヒントがあるかもしれない」
“You may find clues to a solution in the U.S., where you will be going to work.”

日韓両国から遠く離れたアメリカに、何があるというのか。
What is to be found in faraway America?

「実は、ベトナム戦争当時、韓国軍が南ベトナム各地で慰安所を経営していたという未確認の情報がある。これをアメリカ政府の資料等によって裏付ける事ができれば、慰安婦問題において韓国に『加害者』の側面が加わる事になる。そのことをきっかけに、朴大統領と韓国国民が頭を冷やし、真摯に慰安婦問題に向き合うようになれば、事態は変わるかもしれない」
“Actually, I have unconfirmed information that during the Vietnam War, the ROK army operated comfort stations in many places in South Vietnam. If you are able to substantiate this with U.S. government documents, an additional dimension to the comfort women issue will be that the ROK was also a ‘perpetrator.’ If this results in President Park and the South Korean people coming to their senses and dealing with the comfort women issue in good faith, the situation may change.”

日韓関係の現状を憂うこの人物に背中を押され、ワシントン赴任早々の一三年九月から、私の全米各地に眠る公文書を探す取材が始まった。
Encouraged by this person who was truly concerned by the current state of the Japan-ROK relationship, I began to look for previously undiscovered official documents all over the U.S. after I took up my job in Washington in September 2013.

アメリカには、国立公文書記録管理局、通称「NARA」と呼ばれる組織がある。政府の公文書や歴史的価値が高いと判断された各種資料を保管する米政府の公式機関で、全米三十三カ所に公文書管理施設を持ち、四十億枚の紙、三十万本の映像、五百万枚の地図や統計資料などを保管、公開する世界最大の公文書管理組織だ。
The National Archives and Records Administration (NARA) is the official body in the U.S. that preserves government documents and materials deemed to be of significant historical value. It has archives in 33 locations in the country with a collection of 400 billion pages of documents, 300,000 videos, 5 million maps, statistics, and so forth. It is the biggest archive in the world that preserves such materials and makes them available to the public.

ベトナム戦争についても、南北の内戦突入(六十年)から米軍全面撤退(七十三年)に至る、膨大な公文書や映像資料が保管されている。
The NARA has an extensive collection of official documents and video footage on the Vietnam War from the start of the North-South civil war in 1960 to the complete withdrawal of U.S. forces in 1973.

そもそも、一九六〇年代に本格化したベトナム戦争は、ソ連や中国など共産主義陣営が支援する北ベトナム側と、アメリカや台湾など自由主義陣営が支援する南ベトナム側が戦ったことから「冷戦米ソの代理戦争」と呼ばれた。
The Vietnam War, which turned into a major war in the 1960s, was called a proxy Cold War between the U.S. and the Soviet Union because it was fought between North Vietnam, supported by the USSR, China, and the Communist camp, and South Vietnam, backed by the U.S., Taiwan, and the free nations.

五〇年代前半の朝鮮戦争で国土が荒れ果て、世界の最貧国レベルにまで落ち込んでいた韓国。六三年に第五代大統領となった朴正煕は、ベトナム戦争を復興に向けた千載一遇のチャンスと位置づけた。粘り強い交渉の結果、アメリカ政府から派兵規模に応じた補助金支給と、対米移民枠の設定を勝ち取り、六五年から本格的に韓国軍を投入。延べ三十一万人の韓国兵がベトナムに渡った。
South Korea was devastated by the Korean War in the first half of the 1950s. It became one of the poorest countries in the world. Park Chung-hee, who became its fifth president in 1963, regarded the Vietnam War as a golden opportunity for national reconstruction. Through dogged negotiations, he was able to obtain subsidies and an immigration quota from the U.S. government in return for sending troops to Vietnam. The ROK began sending a substantial number of troops in 1965. A total of 310,00
0 South Korean forces were deployed in South Vietnam, a number second only to the U.S. forces.

ベトナム戦争時の韓国軍に関する公文書は全米各地に点在している。私は本業のワシントン支局長としての業務の合間を縫って、ワシントン市内や郊外メリーランド州の公文書館、さらに各地の米軍基地付属の図書館や資料館を訪れたり、リサーチャーを派遣したりして、関連の文書を大量にコピーし、支局に持ち帰っては読み込む作業を続けた。
Various official documents on the ROK army during the Vietnam War can be found in many locations in the U.S. I tried to find time in between my regular duties as the Washington Bureau chief to visit various archives in Washington and Maryland nearby. I also visited libraries and archives of U.S. military bases or sent researchers to these places, making copies of a considerable volume of documents and browsing through them.

ジョン・F・ケネディ大統領(六一~六三年)やリンドン・B・ジョンソン大統領(六三~六九年)、ロバート・マクマナラ国防長官(六一~六八年) など当時のキーマンの書簡から、各国の外交官や軍関係者のメモまで、ありとあらゆる階層の様々なやり取りを記録した公文書からは、教科書や歴史書からは伝わらない、当時の生々しい息遣いが感じられた。
Records of exchanges at all levels, from letters of the key persons at that time – such as President John F. Kennedy (1960-63), President Lyndon B. Johnson (1963-69), and Secretary of Defense Robert McNamara (1961-68) – to memos of diplomats and military officers gave me a real sense of the situation at that time that was impossible for textbooks or history books to convey.

最初に集中的に読み込んだのは、ホワイトハウスや国務省等の外交文書の分析だ。そこから判明したのは、当時のアメリカ政府がベトナムにおける韓国兵の行状に、相当手を焼いていたという事だった。
At first, I focused on reading and analyzing diplomatic documents of the White House and the State Department. What I found out was that the U.S. government at that time was having serious trouble dealing with the South Korean soldiers’ behavior in Vietnam.

韓国兵の蛮行の記録は派兵が本格化された六五年から早くも始まっていた。戦地での市民の虐殺、強姦から、サイゴンなどの都市部での為替偽造、物資の横流し、麻薬密売に至るまで、ありとあらゆる犯罪記録が大量に残されていた。
Records of South Korean soldiers’ atrocities began soon after full-fledged deployment in 1965. There were numerous records of all sorts of criminal acts, from the massacre and rape of citizens in the field, to counterfeiting of currency in Saigon and other cities, to selling supplies on the black market and peddling of drugs.

米軍司令部は韓国軍司令部に対して繰り返し書簡を送り、違反者の訴追と再発防止を求めたが事態は悪化の一途をたどった。
The U.S. military command sent many letters to the ROK army command, asking for punishment of offenders and measures to prevent recurrence but the situation continued to deteriorate.

七〇年には、アメリカ連邦議会下院の外交委員会で、韓国軍による残虐行為を追及する特別調査チームが作られる事態にまで発展した。
In 1970, the U.S. House of Representatives Committee on Foreign Affairs even set up a special team to investigate the ROK army’s atrocities.

ただ、これら外交文書の多くは虐殺や経済犯罪などに関するもので、韓国軍の慰安所に関するものはなかなか出てこなかった。
However, most of the diplomatic documents concerned killings and economic crimes. I could not find any record of the ROK army’s comfort stations.

そこで、私はリサーチの目先を変えてみた。韓国兵の悪行が問題になっていたなら、犯罪や裁判の記録の中に何らかの手がかりがあるのではないかと考えて、一四年の春から、ベトナム駐留米軍の軍政部と軍警察の犯罪記録に手を伸ばし、年代順にコピーして片っ端から読み始めた。そこには、強姦、暴行、窃盗、傷害、軍需物資の不正取得など、夥しい数の韓国兵の犯罪が様々な形で記録されていた。
Therefore, I changed the focus of my research. I thought if the ROK soldiers’ actions were a problem, there must have been criminal or court records. From spring 2014, I began to look into criminal records of the U.S. military government and the military police. I copied the documents in chronological order and read through them. They gave an even more vivid picture of the rapes, assaults, thefts, stealing of military supplies, and other crimes committed by South Korean soldiers.

サイゴンの「韓国軍慰安所」
“ROK Army Comfort Station” in Saigon

そして、七月二十五日深夜。誰もいない支局の小部屋で、いつものように犯罪記録の公文書を一枚一枚剥ぐように読み込んでいると、一通の書簡に行き当たった。
In the middle of the night on July 25, I was reading the criminal records page by page alone, as usual, in a small room in the Washington Bureau office. I came across a letter.

その書簡は、サイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ軍司令部から、同じくサイゴンの韓国軍司令部に送られたものだった。宛先は、ベトナム駐留韓国軍最高司令官・蔡命新(チェ・ミュンシン)将軍だ。
This letter was sent by the U.S. forces command in Saigon (now Ho Chi Minh City) to the ROK forces commander in Saigon. The addressee was Lt. Gen. Chae Myung Shin, the highest commander of ROK forces in Vietnam.

この書簡には日付の記載がなかったが、年代順に整理された他の公文書や記載内容を基にした関連取材で、六九年一月から四月の間に書かれたものと判明した。
While there was no date on this letter, the letter was most probably written between January and April in 1969, based on the other documents arranged in chronological order and other information I obtained on the subject matter in this letter.

書簡の主題は、韓国兵が関与した経済事件に関するもので、不正な通貨を用いて米軍の軍需物資が大量に横流しされていると指摘していた。その一連の犯罪行為の舞台のうちの一つが、サイゴン市中心部にあったという「The Turkish Bath」(トルコ風呂)だ。
The main topic of the letter was economic crimes the South Korean soldiers were involved in. A large amount of U.S. military exchange merchandise was being sold on black market currency exchange rates. One establishment where such criminal activities took place was the Turkish Bath in downtown Saigon.

この「トルコ風呂」について書簡は、「売春行為が行われていて、ベトナム人女性が働かされている」と説明している。
According to the letter, “prostitutes are available and Vietnamese women work there.”

そして、主題である通貨不正事件の捜査のために、米軍とベトナム通関当局が共同で家宅捜索を行った結果を、次のように記していた。
「この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)である」
A joint investigation by the U.S. forces and the Vietnamese customs authorities found that “the Turkish Bath was a Republic of Korea Army Welfare Center for the sole benefit of Korean troops.”

何度も読み返したが、間違いなく、米軍司令部が捜査に基づいて、「韓国軍の韓国兵のための慰安所」と断定している。
I was amazed, so I read through the letter several times. Based on its investigation, the U.S. military command determined that the establishment was a “comfort station for Korean troops.”

米軍司令部は「韓国軍の慰安所」と断定するにあたり二つの根拠を示している。
The U.S. military command’s conclusion was based on the following:

まず、押収資料の中から、韓国兵の福利厚生を担当する特務部次長の任にあった韓国軍大佐の署名入りの書類が見つかり、その書類が韓国軍の慰安所であると示している事。
First, one of the seized documents, signed by the ROK army’s assistant special services officer, indicated that the Turkish Bath was an ROK army welfare center for the sole benefit of Korean troops.

さらに、家宅捜索でこの施設から押収された物資について、韓国軍幹部がベトナム税関当局に対し、返還を求める書類を提出した事実を、軍幹部の実名を示して韓国側に突きつけていた。
Furthermore, documents signed by a senior ROK military officer were produced at the Vietnamese customs building in an attempt to secure the release of the goods confiscated during the raid.

その上で米軍司令部は、韓国軍の最高司令官蔡命新に対して、経済犯罪に関わった疑いのある大佐や中佐など、韓国兵六名の実名を通報した。友軍の司令官に犯罪者の摘発を要請する書簡だけに、その文章は捜査と証拠に基づいていて隙がない。
The U.S. military command further provided the Korean commander with the names of six colonels, lieutenant colonels, and other military officers thought to be involved with the economic crimes. Since this was a letter notifying the commander of an allied force about the crimes committed by his subordinates, it must have been solidly based on an investigation and evidence.

今回、米国の公文書によって初めてその存在が明らかになった、サイゴンの「韓国軍慰安所」とは、一体どのように運営されていたのか。
How was the ROK army comfort station in Saigon that has come to light through a U.S. archive document operated?

すぐにでもホーチミンに飛んで現地取材したかったが、ワシントン支局長という立場上長期間アメリカを離れる事は難しい。そこで私は、アメリカにトルコ風呂の実態やこの施設について知っている人物がいないか、改めてリサーチを開始した。
I would have wanted to fly to Vietnam immediately to investigate, but as the Washington Bureau chief, it was difficult to take leave from my job for an extended period. Therefore, I began research to find out if there was anybody in the U.S. who was knowledgeable about the sex industry in Saigon at that time or who knew about the establishment in question.

まず、当時の米軍関係者とベトナム系アメリカ人に照準を絞って、アメリカにおけるベトナム関連のネットワークを探した。関連のフォーラムに出席したり、米政府の退役軍人省のデータベースを調べたりして、連絡先の判明した関係者に虱つぶしに手紙やEメールを送った。また、サイゴンに駐在経験のある人物の証言を得る為、ワシントン郊外バージニア州のベトナム人集住地区の新聞に情報提供を求める広告を出した。すると、ほどなくして広告を見たアメリカ人からEメールが来た。
I focused first on former U.S. military personnel and Vietnamese-Americans and looked for Vietnam-related networks in the U.S. I attended the relevant forums, looked into the databases of the U.S. government’s Department of Veteran Affairs, and sent letters and e-mails to people with known contact information who might know. I also placed an advertisement in a newspaper in the Vietnamese community in Virginia outside Washington, asking for information. Shortly after, an American who saw the
ad sent me an e-mail.

ハンス・イケス氏(70)。六〇年代後半にアメリカの通信インフラ会社からサイゴンに派遣され、その後数年間にわたってベトナムとアメリカを往復したというイケス氏は、今はバージニア州東部で年金生活を送っているが、若くして訪れたサイゴンは印象が強烈だったという事で、当時の街の様子を饒舌に語ってくれた。しかし、トルコ風呂について質問が及ぶと、周りを憚るように声を潜めた。
Hans Ekes [spelling not confirmed], 70, was sent by an American communication infrastructure company to Saigon in the late 1960s. Ekes, who traveled back and forth between Vietnam and the U.S. for several years, is a pensioner living in eastern Virginia. He talked at length about what Saigon was like, since the city made a strong impression on him as a young man. However, when we asked about the Turkish Bath, he suddenly lowered his voice and became wary of people around us.

「『トルコ風呂』は、当時サイゴンにいた人の間では、『射精パーラー』(Steam and Cream Parlor)と呼ばれていました。若いベトナム人女性から性的サービスを受けることが出来たからです」
“At that time, people in Saigon called the Turkish Bath a ‘steam and cream parlor’ because it was a place where you could avail yourself of the sexual services of young Vietnamese women.”

トルコ風呂の実態については徐々に明らかになってきたが、韓国軍の慰安所の存在を確実に知っている人物にはなかなか辿り着けなかった。
It became clear from the statements that the Turkish baths in Saigon at that time were another name for brothels, like in Japan in the past. However, I had difficulty finding someone who knew about the ROK army’s comfort station.

作業を続けて半年程経った頃、ベトナム戦争を戦った経験のある米軍OBからEメールが送られてきた。
About six months after I started the research, I received an e-mail from a U.S. veteran who fought in the Vietnam War.

アンドリュー・フィンライソン氏(71)。米海兵隊の歩兵部隊長として六七年から二年八カ月に渡ってベトナム戦争を戦い、サイゴンをはじめ南ベトナム各地を転戦。退役後は紛争地域の軍事顧問団として活躍し、ベトナム戦争に関する著作も発表している研究者だ。早速インタビューを申し込むと、快く応じてくれた。
Andrew Finlayson, 71, served with the U.S. Marines’ infantry unit in the Vietnam War for two years and eight months from 1967 and fought in various locations in South Vietnam. After leaving the military, he served in military adviser groups in conflict areas. He is a researcher and has published books on the Vietnam War. He agreed to be interviewed.

「休息と回復期間」の兵士
Soldiers’ “Rest and Recuperation”

朝晩の冷え込みが厳しくなってきた昨年初冬、アメリカ東海岸バージニア州の小さなホテルに現れたフィンライソン氏は、黒いタートルにジャケットを着た、温厚な容貌の紳士だった。だが、衣服越しにも明らかな分厚い胸板と鋭い眼光が、元海兵隊幹部という肩書きを裏付けていた。
In early winter last year, when it was becoming cold in the mornings and evenings, Finlayson, wearing a black turtleneck sweater and a jacket, appeared at a small hotel in Virginia. He looked like an affable gentleman but his thick chest and piercing eyes disclosed that he was a former marine officer.

その体躯とはうらはらに、フィンライソン氏の語り口は、研究者だけあってあくまで知的で静かだった。
Contrary to his looks, Finlayson, a researcher, spoke quietly with the manner of an intellectual. He said:

「韓国軍の慰安所は、確かにサイゴンにありました。よく知っています」
“There was indeed a ROK army comfort station in Saigon. I knew about it very well.”

南ベトナム各地の農村の偵察部隊の責任者として、韓国軍との連絡調整に従事した経験があり、韓国軍の実情に詳しかった。
Finlayson was responsible for reconnaissance teams in the rural villages in South Vietnam, so he was involved with liaison with the ROK army and was familiar with the situation at that time.

「米軍司令官が指摘している韓国の慰安所とは、韓国軍の兵士に奉仕するための大きな売春施設です。韓国兵士にセックスを提供するための施設です。それ以外の何ものでもありません」
“The ROK army comfort station cited by the U.S. military commander was a major sexual facility for the South Korean soldiers. It was precisely a facility for providing sexual services to these soldiers.”

フィンライソン氏によれば、問題の施設は、トルコ風呂としてはかなり大規模なものだが、サイゴン市内の別の場所には、これよりもさらに大きい慰安所があったという。施設は内部が多くのブロックに分かれていて、一区画に二十人前後のベトナム人女性が働かされていたという。
According to Finlayson, it was a Turkish bath of an enormous size. However, according to Finlayson, there was an even bigger facility in another location in Saigon. These facilities were divided into blocs inside. Around 20 Vietnamese women worked in each bloc.

韓国軍が、なぜサイゴン市内に大規模な慰安所を作らなければならなかったのかを尋ねると、フィンライソン氏は即座にこう答えた。
When asked why the ROK army had to set up large comfort stations in Saigon, Finlayson responded immediately:

「韓国兵がベトナム女性をレイプしたり、個別に性的関係を持ったりするのを防ぎたかったからです。また、韓国軍将校が農村で女性を売春婦として囲う恐れもあり、こうした行為はベトナム社会と韓国兵の間で政治的トラブルに発展する危険性がありました」
“This was to prevent South Korean soldiers from raping Vietnamese women or having individual sexual relations with them. There was also concern that South Korean officers might keep prostitutes as mistresses in Vietnamese villages. These things might develop into political trouble between the Vietnamese society and the ROK army.

「また性病の蔓延も重大な懸念でした。慰安所ならば慰安婦の健康を管理できます。当時現地では性病が大きな問題で、特に梅毒が蔓延していました」
“Venereal diseases were also a serious concern for the armed forces. It would be possible to manage the health of the comfort women at the comfort stations. At that time, venereal disease was a serious problem in South Vietnam. Syphilis was particularly rampant.”

ベトナム戦争当時、一定期間前線で戦った韓国軍の兵士は、「休息と回復期間(Rest & Recuperation)」として戦地を離れ、サイゴンで休養する事を許された。この「静養中」の韓国兵がサイゴンや近郊の農村でトラブルを起こしたり、性病に罹ったりしないよう、韓国軍が韓国兵のための慰安所を、サイゴン市内に設置したというのだ。
During the Vietnam War, South Korean soldiers who fought on the front lines for a certain period of time were allowed to leave the battlefield for R&R (rest and recuperation) in Saigon. Apparently, the ROK army set up comfort stations in Saigon for the soldiers so that they would not make trouble in Saigon and the nearby villages while on R&R and to prevent the spread of venereal disease.

では韓国兵士の相手をさせられたベトナム人の慰安婦とは、どんな女性たちだったのか。
Who were the Vietnamese women made to serve the South Korean soldiers?

フィンライソン氏は、そのほとんどがベトナム各地の農村の少女だったと断言した。
Finlayson said they were almost invariably young girls from the rural villages in Vietnam.

「こうした売春施設で働いている女性はほぼ例外なく農村部出身のきわめて若い女性でした。
“Women who worked in these brothels were almost invariably very young girls from the rural areas.

彼女達が施設に来た理由は様々です。貧困のために家族に売られてきた少女もいたし、自らの意思で来た女性もいた。彼女たちは、職を失って慰安婦となった。騙されて連れてこられた女性も当然いたでしょう」
“They were there for various reasons. There were girls who were sold by their families due to poverty. Some went there of their own free will. They lost their jobs and became comfort women. For sure, there were also women who were deceived and brought there.”

同書簡には、この施設は韓国兵専用の慰安所として設立されたが、米軍など友軍の兵士も特別に利用する事ができ、その場合は一回につき三十八ドルが請求されたと書かれている。
The letter mentioned earlier wrote that while this facility was set up as a comfort station for the sole benefit of the Korean troops, U.S. soldiers and members of other allied forces were given special access, in which case, they were charged $38 each time. Finlayson explained why this happened.

施設に行った事があるという別の米軍OBは、匿名を条件に次のように証言した。
A U.S. veteran who had once gone to the facility provided the following information on the condition of anonymity:

「ほとんどが十代の少女だった。十六歳だという少女もいたし、もっと幼く見える女の子もいた。こうした農村出身の素直で華奢な少女に夢中になる兵士も多く、こうした者は『Yellow Fever(黄熱病)』と揶揄されていた」
“Most of the women who worked in the Turkish baths were girls from the rural villages under 20 years old. Some said they were 16 and others looked even younger. Many soldiers went so gaga over these simple petite girls that they were ridiculed as having the ‘yellow fever’.”

ニュージャージー州に住む七十代前半のこの人物は、問題の慰安所は隣接する複数の家屋を併せた大規模な施設で、通りの向かい側にも別棟があったと語った。その後の調査で、この施設が入っていた建物はホーチミン市内に現存する事が確認されたが、隣接する地番が一体となって雑居ビルを構成している点など現地の状況は完全に一致していた。ベトナム人慰安婦の多くが年端も行かぬ少女だったという驚くべき証言だったが、十分に信頼しうると感じた。
This man in his 70s and living in New Jersey said that the comfort station in question was a large-scale facility including several adjacent buildings, and an annex across the street. On later investigation, I confirmed that the building housing this facility actually still exists today, and that this facility was operated together with two adjacent buildings and there was also an annex across the street, matching his description. I felt that his incredible account that the majority of the
Vietnamese comfort women were minors was reliable.

韓国軍慰安所が友軍の兵士を受け入れた理由については、フィンライソン氏はこう説明した。
Finlayson gave the following reasons for why friendly forces were accepted at a Korean Comfort Women facility.

韓国の国家としての意思
South Korean Government Policy?

「『休息期間』でサイゴンに滞在する韓国兵の数は時期や季節によってばらつきがありました。このため、そもそもは韓国兵専用として設立された施設ですが、韓国兵の数が少ない時期に、友軍の兵士も受け入れるようになっていったのです」
“There were seasonal fluctuations in the number of South Korean soldiers coming to Saigon for R&R. Therefore, this facility set up for the exclusive use of ROK troops came to accept soldiers of the allied forces during low seasons.”

私が投げかけるあらゆる質問に対して、フィンライソン氏の答えは簡潔かつ明快だった。そしてその解説は、それまでに読み込んだ公文書の内容や関係者からの聞き取りと、ぴったりと一致していた。
Finlayson was unequivocal in answering all my questions. His explanation also corresponded completely with what I had learned from archive documents and interviews with informed sources.

もちろん、韓国軍による慰安所設置の経緯、規模、運営実態など、今後解明されなければならない事は多い。しかしフィンライソン氏への一時間半に渡るインタビューを終え、ベトナム戦争当時「都市型慰安所」とでもいうべき、これまで知られていなかった施設が存在したという点については、確信を持つに至った。
After the 90-minute meeting with Finlayson, I felt that several of the questions I had had throughout my 15 months of information gathering were answered. For sure, many facts still need to be uncovered regarding how the ROK army set up the comfort stations, their size, and how they were operated. However, there is no doubt that what could be called “urban comfort stations” set up by the ROK army existed in Saigon during the Vietnam War.

では、韓国軍の慰安所経営について、ベトナムの人々はどう受け止めるのだろうか。南ベトナム政府の元官僚で現在はワシントン郊外に住むグエン・ゴック・ビック博士に話を聞く事ができた。
So, how do the Vietnamese feel about the ROK army’s comfort stations? I asked Dr. Nguyen Goc Bich, a former Vietnamese government official who now resides in Washington.

ビック博士とは、昨年夏ワシントンで開かれたベトナム戦争五十周年の記念フォーラムで出会った。中部の港湾都市ダナンで生まれサイゴンで育ったビック博士は、ベトナム戦争が本格化する直前の五八年にアメリカに渡り、コロンビア大学や京都大学などに留学した後、複数のアメリカの大学で教鞭をとったアジア文学の研究者だ。
I met Bich at a forum commemorating the 50th anniversary of the Vietnam War in Washington last summer. He was born in the port city of Danang in central Vietnam and grew up in Saigon. He immigrated to the U.S. in 1958, shortly before the Vietnam War intensified. He is a scholar who taught Asian literature at several U.S. universities after studying at Colombia University and Kyoto University.

ベトナム戦争時の韓国軍による虐殺などの蛮行については詳しく知っていたが、慰安所の事は知らなかったという。ビック博士は小柄で白髪の温厚な紳士だが、問題の書簡を読んでもらうと見る見る顔つきが厳しくなった。
He was familiar with the killings and other atrocities committed by the ROK army during the Vietnam War but did not know about the comfort stations. Bich is a pleasant gray-haired gentleman, but after reading the letter in question, his facial expression hardened.

「韓国軍がベトナム人に対して酷いことをしたのであれば、うやむやにすることは絶対にできません」
“If the South Korean army had indeed done those terrible things to the Vietnamese, our people will absolutely not overlook this fact.

アメリカ在住のベトナム人団体の議長も務めるビック博士は、ベトナム人について「二千年前の出来事でも昨日のことのように話す民族」であるという。
Bich, who also chairs an organization of Vietnamese in America, said that the Vietnamese people “talk about events 2,000 years ago as if they happened yesterday.”

「犯罪や酷い行為が行われたのならば、それは日本人だろうが韓国人だろうがベトナム人だろうがアメリカ人だろうが、悪いものは悪いのです」
“If crimes and hideous acts were committed, evil is evil whether Japanese, Koreans, Vietnamese or Americans were responsible.”

「我々は良心に従って韓国と向き合い、調査し、交渉をして、白黒はっきりつけなければならない。真実が分からない限り、いつまでも問題は解決しないし、国家間の関係を害することになる」
“We must talk to the ROK, conduct investigations, negotiate, and find out the facts following our conscience. This issue cannot be resolved and will continue to poison bilateral relations unless we find out the truth.”

ビック博士が最も強調したのが、慰安所設置に踏み切った、韓国の国家としての意思だ。
Bich was most interested in whether the setting up of comfort stations was a ROK government decision.

「一部の不良がやっていた違法行為でなく、韓国政府が政策としてやっていたのなら、看過されるべきではない。国家が関与したこういう行為は、決して正当化する事はできないのです」
“If this was not an act by a bunch of bad guys and was the result of an ROK government policy, it should not be overlooked. There is no way to justify such an act if the state was involved.”

「軍の規律維持」と「性病防止」のために、韓国政府と韓国軍が組織的に慰安所を設置、運営したのであれば、そこには明白な国家の意思が存在することになる。そしてその構図は、韓国政府が繰り返し厳しく批判する日本軍の慰安所と全く同じだ。
If the ROK government and army were involved in the systematic operation of comfort stations for the sake of maintaining the armed forces’ discipline and preventing venereal disease, this was certainly a government action. And this was a system that was exactly the same as the Japanese Imperial Army’s comfort stations that the ROK government has criticized relentlessly.

だがそれもそのはず、当時の大統領・朴正煕は、日本の陸軍士官学校を卒業し、太平洋戦争では日本軍兵士として満州各地を転戦した経歴を持つ。それだけに、日本軍の慰安所の仕組みと機能を熟知していた。また、問題の書簡を受け取った蔡命新司令官は、六一年に朴正煕がクーデターを起こした直後に幹部に抜擢した、腹心中の腹心だ。
Perhaps this was understandable. The president at that time, Park Chung-hee, fought in Manchuria as a member of the Japanese army during the Pacific War after he graduated from a military academy in Japan. He must have been very familiar with the operation and functions of the Japanese army’s comfort stations. Commander Chae Myung Shin, the addressee of the letter, was given a high level position shortly after Park Chung-hee succeeded in his coup d’etat in 1961. He was one of Park’s closest
confidants.

蔡命新は、九四年に執筆した自叙伝『死線幾たび』の中で、朝鮮戦争当時韓国軍が慰安所を運営していた事実を認めている。
Chae admitted that the ROK army set up comfort stations during the Korean War in his autobiography published in 1994.

朝鮮戦争終結後、わずか十年余でベトナム戦争に参戦した韓国軍が、ベトナムでも慰安所を経営するのはごく自然な成り行きだっただろう。朴正煕と蔡命新という政軍両トップの存在があったからこそ、ベトナム戦争でも韓国軍が慰安所経営に踏み切ったともいえる。
It would be quite natural for the ROK army, which participated in the Vietnam War less than 10 years after the end of the Korean War, to operate comfort stations. It can be said that the decision to operate comfort stations was made during the Vietnam War precisely because Park and Chae headed the government and the armed forces at that time.

一方、朴正煕の娘である朴槿恵大統領は、私が渡米して以降も、日本軍の慰安所について国際社会で厳しく糾弾し続けていた。昨秋の国連総会では、世界に向けてこう演説した。
Meanwhile, Park Chung-hee’s daughter, President Park Geun-hye, has persisted in criticizing harshly the Japanese army’s comfort stations in the international community. She told the world in her address to the UN General Assembly last fall:

「戦時の女性に対する性暴力は、時代、地域を問わず、明らかに人権と人道主義に反する行為だ」
“Sexual violence against women in wartime is a clear violation of human rights and humanism regardless of time and place.”

韓国軍によるベトナムでの慰安所経営がアメリカの公文書によって明らかになった今、朴槿恵大統領は自ら発した言葉に自ら応える義務を負った。
Now that an official U.S. document has shown that the ROK army operated a comfort station in Vietnam, President Park has to take responsibility for her own words.

彼女が慰安婦問題を、反日を煽る内政や外交のツールではなく、真に人権問題として捉えているのであれば、サイゴンで韓国兵の相手をさせられたベトナムの少女に思いを致すだろう。何人の少女が、どのような経緯で慰安婦にされたのか。意に反して慰安婦になる事を強いられた女性はいなかったのか。どんな環境で働かされたのかなど、率先して調査するだろう。韓国の元慰安婦に対して行ったのと同じように。
If she truly regards the comfort women issue as a human rights issue and not as a tool in domestic politics and foreign affairs, she ought to think of the young Vietnamese girls who serviced the South Korean soldiers in Saigon. How many girls were made to work as comfort women under what circumstances? Were there not women forced to become comfort women against their will? She should take the lead in investigating their working conditions, just like what was done for the former South Korean
comfort women.

そして、韓国軍慰安所と日本軍慰安所は、どこが同じでどこが異なっていたのか調査し、何が問題で何が問題でないのか検証するだろう。こうした公正な姿勢によってのみ、日韓両国の慰安婦問題が整理され、両国が真の和解に向かう礎が生まれると私は信じる。
She ought to investigate the similarities and differences between the South Korean and Japanese comfort stations and find out what were the issues with these facilities. I believe it is only by taking an impartial approach that the comfort women issue in both countries can be sorted out and the foundation for the two countries to achieve true reconciliation can be laid.

しかし、もし韓国政府がこの問題を黙殺したり、調査もせず否定したりするなら、彼らこそ都合の悪い事実に背を向け、歴史を直視しない国家である事を、国際社会に対して自ら証明する事になる。
However, if the ROK government suppresses this issue and denies it without even conducting an investigation, it will be proving to the international community that it is the ROK that is a country that turns a blind eye to inconvenient facts and refuses to face history squarely.

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【発信責任者】
『NPO法人教育再生地方議員百人と市民の会』 事務局長 増木重夫
〒565-0874 大阪府吹田市古江台2-10-13 阪口ビル3F
TEL 090-3710-4815 / FAX06-6835-0974

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10) 【 NPO法人百人の会 】 自民に反対され、否決されたサンフランシスコ市における慰安婦像設置について再検討を求める決議(案)

国民の祝祭日には、国旗を揚げましょう!
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サンフランシスコ市における慰安婦像設置について再検討を求める決議(案)
サンフランシスコ市芸術委員会において、慰安婦正義連合からサンフランシスコ市に
寄贈予定の慰安婦像のデザ、インが2017年1月9日に了承されるとともに、1月18日
には芸術委員会のビジュアルアート委員会において、碑文についても2点修正の後、全
員一致で承認された。
慰安婦問題に関しては、2015年12月に日韓両政府において、日本が多数の女性の名
誉と尊厳を傷つけたとして責任を表明し、この問題を最終的かっ不可逆的に解決するこ
と、そし’て今後国際社会において互いに非難・批判することを控えることで合意をした
ところである。
サンフランシスコ市における慰安婦像及び碑文の設置の動きは、本市にとってこの合
意の精神を傷つけるものであると言わざるを得ず、姉妹都市の議会として看過できるも
のではない。
過去の歴史的事実を直視し、普遍的な価値を持つ女性の尊厳と人権が戦場においても
守られる世界を目指すための活動は大いに取り組むべぎである。
現行の計画のまま慰安婦像が公共の公園に設置されることになれば、日本人及び日系
人が多く住むサンフランシスコ市にとってもコミュニティー分断の原因にもなりかね
ず、将来的な両市の交流、日米関係にも悪影響を及ぼすのではないかと懸念されるo
サンフランシスコ市との友好の歴史は1957年に姉妹都市提携を結んで以来、60年の
長きにわたり、両市代表団の相互訪問など交流を深めてきた。
直近では、平成27年10月に友好都市提携特別展を大阪市役所にて開催、平成28年
7月にはサンフランシスコ高校生アンパサダーが来阪され、また、平成28年8月には、
市長が世界のイノベーションをけん引するシリコンバレーを訪問し、サンフランシスコ
市との連携強化を図るなど、着実な相互交流によって粋を深めてきた経緯があるo
姉妹都市提携60周年を迎える記念すべき本年を契機に、議会としても将来にわたっ
てさらに良好な信頼関係を構築していきたいと切に願うところである。
よって本市会は、サンフランシスコ市が、市の意思として公共の場所に現計画のまま
慰安婦像及び碑を設置することについて、再検討されるよう強く求めるものである。
以上、決議する。

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http://www.sankei.com/west/news/170526/wst1705260027-n1.html
大阪市の姉妹都市、米サンフランシスコ(SF)市での慰安婦像と碑文の設置に向けた動きに絡み、大阪維新の会は26日の市議会本会議に、SF市当局に設置の再検討を求める内容の決議案を提案する。自民党と公明党は内容には理解を示す一方で、維新が25日、吉村洋文市長の意向に沿って賛成するよう求めたことに反発し、反対する方針を確認した。本会議では賛成少数で否決される見込み。

『NPO法人教育再生地方議員百人と市民の会』 事務局長増木重夫

 G0【T】 米でまた慰安婦問題象徴の少女像設置へ

国民の祝祭日には、国旗を揚げましょう!

米でまた慰安婦問題象徴の少女像設置へ

アメリカで、慰安婦問題を象徴する少女像が、ロサンゼルス近郊の公園に続いて南部ジョージア州の公園にも設置されることがわかりました。現地の日本総領事館は「残念で、今後も引き続き政府の立場を説明していく」としています。

こうした中、こんどは南部ジョージア州のブルックヘブン市の公園に慰安婦問題を象徴する少女像が設置されることがわかりました。ブルックヘブン市によりますと、市議会で協議した結果、韓国系市民団体から少女像の寄贈を受けて市内の公園に設置することを決めたということです。来月下旬に記念式典を開く方向で調整が行われています。アーンスト市長は「少女像を設置することで、世界中で起きている性や人身売買について問題提起をすることができる」と話しています。
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・米でまた慰安婦問題象徴の少女像設置へ(NHK5/28/2017)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170528/k10010997601000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_049

・米国を舞台に繰り広げられる「慰安婦像」をめぐる日韓の争い、日本は再び敗北―中国メディア(レコードチャイナ5/29/2017)
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/1398791/?nv=c_top_latest

・美????????? ‘??? ???’??(美ジョージアブルックヘブンの「平和の少女像」建立:自動翻訳)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=104&oid=001&aid=0009289802
(ロサンゼルス=聯合ニュース)キム・ジョンウ特派員=米国ジョージア州ブルックヘブンの「平和の少女像」が設置される。
24日(現地時間)、アトランタ婦少女像建設委員会によると、ブルックヘブン市議会は、前日の全体会議を開き、「平和の少女像をインストールする」を満場一致で議決した。
この平和の少女像が入るカリフォルニア州グレンデール市の公園とミシガン州サウスフィールドたる文化会館に続き三回目だ。
先にカリフォルニア州プラターンとジョージア州アトランタでの少女像建設は、日本側の工作で失敗に終わったことがある。
アトランタの北に位置するブルックヘブン市の人口は約5万人で、様々な人種が調和した、ダイナミック都市だ。人口の25%は外国出身だ。

・世界中の慰安婦像に関する質問主意書(衆議院)
http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193091.htm
http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193091.htm

・国連沖縄の活動家の長期勾留に懸念示す(NHK5/28/2017)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170528/k10010997561000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_055

・「国連事務総長、慰安婦合意を支持するとは言っていない」(朝鮮日報5/29/2017)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/29/2017052902489.html

・【「慰安婦」日韓合意】韓国外務当局者が明言「韓国国民の大多数が受け入れられない」(産経5/29/2017)
http://www.sankei.com/world/news/170529/wor1705290043-n1.html

・慰安婦合意韓日対立「再燃」の兆し(聯合ニュース5/28/2017)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2017/05/28/0400000000AJP20170528001100882.HTML?sns=tw

・「慰安婦合意」維持しようと国際世論戦を開始した日本(中央日報 5/29/2017)
http://japanese.joins.com/article/543/229543.html?servcode=A00&sectcode=A10&cloc=jp|article|related

・嫌韓本を出した元駐韓日本大使「最悪の文大統領、北朝鮮のことしか頭にない」(中央日報5/29/2017)
http://japanese.joins.com/article/540/229540.html?servcode=A00&sectcode=A10&cloc=jp|article|ichioshi

・決裂状態の韓日漁業交渉 来月に再開=見通しは暗く(朝鮮日報 5/28/2017)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/28/2017052800565.html

1:08:34~

1:21:34~

アメリカでは韓国系の住民の多い地域で慰安婦問題を象徴する像や碑を設置する動きが相次ぎ、公有地への少女像の設置は2か所目で、今回、少女像を寄贈した韓国系団体はNHKの取材に対し、「ブルックヘブン市の勇気と情熱、関与をうれしく思う」とコメントしています。

『NPO法人教育再生地方議員百人と市民の会』 事務局長増木重夫

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2017.05.30
宮家復活もこの機会に (1)

いよいよ陛下の譲位を可能にする法案が提示される。今国会にて成立するでしょう。本音を言って安倍政権下で譲位がなされれば即位大嘗祭の儀式の流れはさほど、伝統から離れたものにならずに済むのではと思う。ただ、これが将来の先例となるであろうから「ご高齢による譲位」はどこまでとするのか、80歳以上とするのか男子の平均寿命をおこえになられてからとするのか。など決めるべきは多いのでありましょう。
これが民主党民進党の政権下であったならどうなっていただろう。今回は女性宮家についても議論はなされる。伝統保守派がきっちり主張し、非男系天皇誕生への流れを阻止してくれるものと信じる。皇室補佐の任を担われる皇位継承の可能な宮家の再建作業も待ったなし。この機になさねばなかなか困難ではないか。さらにご結婚により皇室離脱をなされる内親王殿下に置かれてはご一代ご本人に限っての「皇族」として、ないしは「特別公務員」として皇室を公的に支えていただき、みやびを後世に伝える任を担っていただくことも考えるべきではないでしょうか。政治の世界では国会議員がこれだけいてそれでも決まらぬことばかり。長き伝統を有する日本の精神文化保全や皇室の諸行事の継続のためには役人では勤まらぬものがありましょう。
失礼を承知で申し上げるならば、陛下のお子様が皇太子と秋篠宮のお二人の男子であってもこれだけの危機感が世に蔓延するのです。悠仁親王殿下に男子のお子様が3名以上授かることを祈りたいですが果たして。皇位継承を全きものとするには宮家創出は必須。私事の話で恐縮ですが、我が家も代替わりがあり、現実的に親戚付き合いをする家をセーブすることに成りました。代々この家とは親戚づきあいをすると定めねば次第に疎遠となってしまいます。宮家復活もその意味で今しかないのではと思うのですが。

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