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JAL123便の真相

 
愉快痛快さんからのメール情報です。
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愉快痛快です。お世話様です。

自衛隊が、死んでいるようだから死亡、と判断するのではどうにもこうにもいかん訳です。
とりあえず心臓が動いていたら生きているわけです。

【 ウィキから抜粋 】
救援隊の到着時に現場で実際のところ何人が生存していたのかについては、情報が錯綜した。生存者4名は発見から数時間は現場からのヘリ搬送が行われず、特に34歳女性と8歳女性の親子はたいへんな重症であるにもかかわらず、猛暑の中で体力を消耗した。テレビで放送された白い服を着た児童ら4名以外にも、黒い服の男の子などさらに4名が生存しているという情報もあった。生存者か遺体かの判別は、心拍音を聴診器で確認するなどではなく、呼びかけたり叩いた時に反応があるか手で触って脈があるかなどで行われていた。最終的に生存者4名が病院に搬送され、それ以外は遺体として体育館へ運ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

削除変更履歴はこちらで見られます。日々、壮絶な編集合戦が繰り広げられているのがよくわかります。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85&action=history

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それにしても事故発生後の救出活動は変だったんですね。

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救出活動の混乱 [編集]
空路
空からの捜索・救援は、生存者の近くへ降下中の米軍救援ヘリ2機を防衛庁が帰還させたことと[11]、当時の自衛隊ヘリコプターの装備・仕様では夜間における接近は困難であったために、事故当日は行われなかった。長野県警レスキュー隊が墜落現場に向けて動き出したのはあくる13日午前4時前だった。
陸路
空からの捜索・救援が困難であった事故当日は地上からの救出に全力を注ぐこととなったが、位置情報が不正確であり事故後約10時間は現場へたどりつけなかった。 大半は御座山やぶどう峠を捜索後、御巣高
へ転進して徒歩で現場まで向かい、付近は険しい地形だったため、墜落現場に到着したのは事故から14時間ほど経った13日午前8時半であった。現場に一番早く到着したのは、土地鑑を有し、山ですべりにくい地下足袋をはき、日の出とともに登った地元の消防団であった。

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そしてなんと米軍は救援しようとしていた。
≪アメリカ軍の捜索協力
 「墜落機の飛行状況は、在日米軍も把握していた。テレビで放送された録音テープによれば、横田基地の管制官は迷走飛行中の123便に対して繰り返し呼びかけていた。≫録音がテレビで放送されていたんですね。尖閣ビデオと同じで中・ロに都合が悪い情報はお蔵入りですか!消されてしまうかも知れませんので、ウィキペデイアの文を下に貼り付けます。長文になりますが、記録なのでご容赦ください。                 

 
 
栗原茂男              
【純日本人会】 http://www.junnihon.com/                                                    

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