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埼玉支部長の沖縄レポート 続続編    BY 栗原茂男

 
埼玉支部長の西尾光司氏からメールが届きました。
貼り付けます。
 
しかし、何故このような出鱈目な文が公金を使って展示されているのか、その理由が知りたいもの。
賄賂なのか、脅しなのか?
少なくとも展示に当たって、広く国民世論に説明した事実はありません。
 
政府は即刻、展示を止めさせるべきです。
もっとも政府にはコリアンジャパニーズがのさばっていますから、そんな気はさらさらないことでしょう。
 
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沖縄レポート 

沖縄県平和祈念資料館編パート2(下記の展示文は支那・中国の文化です)

沖縄戦への道  展示文

明治政府は琉球王府に対して、武力を背景にした『琉球処分』を断行した。そこで、沖縄県は、皇民化政策によって急速に日本化を進めた。一方、近代化を急ぐ日本は、富国強兵策により、軍備を拡張し、近隣諸国への進出を企てた。満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争へと拡大し、沖縄は15年戦争の最後の決戦場となった。

下記の展示文は支那中国・朝鮮韓国の抗日記念館の、おそらくパクリでしょう。

※傷病兵の遺棄
圧倒的な米軍の戦力の前に、敗走を続ける日本軍には傷病兵の治療や介護をする余裕はなかった。野戦病院の移転には、歩ける患者だけを連れて行き、それ以外の患者のほとんどは置き去りにされた。敗戦直後、野戦病院として使われていたガマ(洞窟)には、多くの遺体が白骨化していた。 

※壕の追い出し
自分たちの住む町や村が戦場となった住民にとって、壕や墓などが非難場所であった。出血持久作戦をとり首里から南部へ撤退してきた日本軍は、陣地として使用するとの理由で、壕や墓などを強奪した。非難場所を追われた多くの住民は、砲弾が飛び交う戦場で犠牲となった。 

※青酸カリ処置
野戦病院などが撤退する際、残された重症患者や歩けない患者には、ミルクに劇薬の青酸カリを混ぜて飲ませ「処置」した。

※スパイ視虐殺
軍民雑居の戦場となった沖縄の日本軍は、住民から軍の機密が漏れるのを極度に恐れた。「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」という命令も出されていた。米軍の投降勧告ビラを持っていたり、投降を呼びかけにきた住民は非国民と見なされて、虐殺された例もあった。

※日本軍の強制による集団死
日本軍は住民と同居し、陣地づくりに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制誘導により、親子、親類知人が殺しあう集団死が各地で発生した。その背景には「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義があった。

※乳幼児虐殺
住民が避難していたガマ(洞窟)に入りこんできた日本兵たちは、乳幼児の泣き声によって敵に知られるのを恐れ、銃剣で脅したり、ガマからの退去を命じた。避難場所を追われた母子は戦場に放置され、逃げ場を失い、各地で数多くの犠牲を出した。  

※一家全滅
沖縄戦では10数万人の県民が犠牲となった。その中には家族全員が亡くなった例も少なくない。激戦となった本島中南部の集落の中には一家全滅の屋敷跡が現在でも残されたままになっている所もある。 

※朝鮮人の虐殺沖縄では、当時日本の植民地だった朝鮮半島などから強制連行された多くの人々が、各地の部隊に配属され、飛行場建設や陣地づくり、弾薬運搬、港での仕事など軍夫として作業に当てられていた。厳しい労働に加え、十分な食糧も与えられなかった「韓国人慰霊塔」には一万余名の朝鮮人が犠牲になったと記されている。

※食糧強奪 
食糧を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食糧強奪が相次いだ。なけなしの食糧を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった。さらに食糧が乏しい離島では日本軍にすべての食糧を管理され、住民は飢蛾に苦しんだ。

※餓死 
戦場となった沖縄では、一切の生産活動ができず、さらに日本軍への食糧供出によって住民の食糧事情は極度に悪化していた。食糧の確保が困難となった地域では、草や木まで食用となるものは食べ尽くし、飢え死にする者もいた。

コメント《上記の展示文に「日本軍」の箇所に「中国軍・人民解放軍」と書き替えれば、中国文化とご理解・納得されると思います。また実は「沖縄県が中国に依頼して作ったものです。」これはジョークです。国民の税金でこんな物つくる国家なんて日本以外にありますか?

 
 

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