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竹島は日本領であるという如何しようもない真実    BY 栗原茂男

日本語ファイル

 

竹島は「天地がひっくりかえっても」日本領である

「史実を世界に発信する会」茂木弘道

 

韓国の李明博大統領は去る4月1日の記者会見で、「(竹島は)天地がひっくり返っても、われわれの領土だ」と述べたという。

韓国が竹島を固有領土と主張する根拠は、『三国史記』という古代朝鮮のことを書いた歴史書(1145年成立)に鬱陵島の隣にある于山島が新羅の領土と書かれているというところに帰着する。その後の史書にもそれと大同小異のことが書かれている。4~5世紀から韓国領だったというのである。ところが、古地図では于山島は鬱陵島の西に近接している。竹島は南東92キロにあるのだから、于山島が竹島であるはずがない。

こんな分かりきった事実があるのに、何故韓国の人々が于山島は竹島だと主張するのか。その理由の一つは、竹島と鬱陵島の周辺の小島の呼称がいろいろに変わってきたためである。現在の竹島は以前松島と呼ばれ、またリャンコ島と呼ばれたりした。また鬱陵島の近辺には、竹島(竹嶼)など小さな島が存在している。これが于山島であったものと考えられる。(添付資料1.参照)

李氏朝鮮時代の地図には、鬱陵島より90キロも先の島のことなどただの一度も登場したことはないのだ。それどころか1889年の『大韓地誌』にも、鬱陵島より東は地図にでていない。考えてみれば当然のことだ。李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策によって居住が禁じられていたのだ。それよりはるか先の島のことなど彼らの関心の外、認識外のことであったのだ。日本では徳川幕府から大谷、村上両家に鬱陵島への渡航許可が与えられ、漁採が行なわれていた。ことを紛らわしくしているのは、鬱陵島のことを当時日本側では竹島と呼んでいたことである。しかし、竹島への行程の途中に松島が、「現在の竹島」の位置にでてくるので間違いはない。単に呼称の問題である。 

歴史的な事実は以上の通りであるから、韓国の主張は全く根拠がない。従って、1954年9月25日に日本政府は、この問題を国際司法裁判所に付託することを提議したが、韓国政府は応じていない。「天地がひっくり返っても、われわれの領土だ」というなら何故国際司法裁判所に堂々と出ないのだ。

実はサンフランシスコ条約で、日本の領土が規定される前の、1951年に韓国はアメリカ政府に対して、日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきであるという要求を正式にしているのである。ところが、この要求に対してラスク国務次官補は1951年8月10日付の梁韓国大使宛書簡で、はっきりと次のように答えている。

「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、われわれの情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。」

 (添付資料2、参照)

これは大変だとばかり、サンフランシスコ条約が発効する1952年4月28日の3カ月ほど前の1月18日、急遽李承晩ラインなるものを強引に設定して竹島を韓国の支配下に編入した、というのが「天地がひっくりかえっても変わらない」歴史事実である。

(2003・4・27)

 添付資料1、1710年江原道地図

 添付資料2、ラスク国務次官補から梁韓国駐米大使への書簡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<添付資料1、>

朝鮮時代の江原道の地図(1710年)

鬱陵島と于山島は蔚珍から2日の距離、と示している地図

江原道は、鬱陵島と于山島を含んでいます。地図は于山島を鬱陵島に隣接するより小さな島として描いています。“風のよい日は蔚珍から2日で到着する”

韓国人は“于山島”が現在の独島 (Liancourt Rocks),の古い名前であったと主張していますが、以下の地図をみればそうした主張は成り立ちません。説明書きでは、鬱陵島と于山島、どちらの島も“風のよい日は蔚珍から2日で到着する”と読めるからです。もし于山島が独島ならば、少なくとももう一日、つまり3日目の船旅が必要となるからです。独島は、鬱陵島の南東92kmの距離にあるのです。

<添付資料2、>  ラスク国務次官補から梁駐米韓国大使への書簡

 

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